京都信明学校の歩み

京都信明学校は、「在日大韓基督教会京都教会」が設立し、京都府の各種学校認可を受けた韓国語教育機関です。また韓国外務省傘下、在外同胞財団の助成を受ける在外韓国語学校の一つでもあります。

京都信明学校の歩みは1920年代にさかのぼります。1910年「韓国併合」の後、1920年代になると、多くの朝鮮人労働者とその家族が仕事を求めて渡日するようになり、京都でもその数は日に日に増えていきました。その多くは土地調査事業などで土地の所有権や小作権を認められなかった農民出身であり、中には文字の読めない人も多くいました。一方、京都は大学が多く、留学生も多く来ていました。

1920年代の初め、関西各地に朝鮮人基督教会が次々と設立されていきます。京都でも今の京都教会が留学生を中心に設立されました。京都教会に集まった留学生たちは、礼拝のほか、社会事業としてさっそく文字の読めない同胞を集め、「男女労働夜学校」と称して朝鮮語や算数、歴史、社会常識を教えたそうです。

京都信明学校の前身となる、この「男女労働夜学校」は1922年には設立されていたようです。朝鮮の『基督申報』(1922年10月18日付け)は、「日本京都市朝鮮人基督教会では9月18日に夏休みを終え、男女労働夜学校を再開した」と記し、講師として京都帝大、第三高、大谷大学、立命館中学、同志社大学神学部の留学生12名の名を報道しています。

100年ほど前に、手弁当の講師を12名も擁した韓国語学校が設立され、今もその精神が生きて続いていることは、他になかなか例がないのではないかと思います。

京都教会に残る記録によると、1930年代になると、夜学校の校長や常勤講師を置くなどかなり整備されていきましたが、戦時色が濃くなると、教会といえども、朝鮮語の使用は禁止となり、当然ながら、教えることもできなくなりました。

戦後、京都教会は「在日大韓基督教会京都教会」として再出発し、韓国語による礼拝も復活します。また教会は早くも1945年9月27日、青年会に夜学部を担当させ、韓国語と歴史を教えることとし、夜学校を復活させました。当時は、言葉を回復した喜びが天を衝くほどで、週に5日、夜7時から9時まで、多数のクラスを開講し、信徒・非信徒を問わず、600名余りが同時在籍していたそうです。

夜学校は、1949年4月、「京都教会夜間学校」として京都府の各種学校認可を受け、体制を一新し、1962年3月には「京都信明学校」に名称変更し、今日に至ります。

当初は京都在住の在日コリアンのために韓国語と韓国史を教える学校でありましたが、1965年の国交正常化以後はそのような枠はなく、地域社会への貢献という教会方針の下、韓国語を学びたい方はだれでも参加できます。生徒の割合を見ても、日本人が約80%、在日コリアンが約20%を占めています。

今までの在学生の累計は5000名を優に越え、日本では最も古い歴史をもつ韓国語学校の一つです。

(以上の記述は、金守珍『京都教会の歴史』在日大韓基督教会京都教会発行、1998による)